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 マルコ神父より  

 M.テレサの祈り  

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テからの手紙003この手紙は、フランスにある超教派のエキュメニカルな男子修道共同体コミュニティテゼのブラザー・ロジェによって書かれ、アジアの23の言語とアフリカの7つの言語を含む58の言語に翻訳されている。

                  この手紙は、2003年を通してテゼで開かれる毎週の集いにおいて、また世界各地の集いにおいて、黙想の手がかりとなるテキストとして用いられる。

神は愛ただ愛

 

界のあらゆる場所で、若者たちの多くが探し求め、こう自らに問いかけています。「未来に希望はあるのだろうか。どうしたら不安から確固たる信頼へと歩むことができるのか。」

社会は、時々その根底から揺さぶられます。今日こんにち、貧困が絶えず増大し、人類の未来は不確かです。たくさんの子どもたちが苦難の中に置かれ、破壊された関係に人々が傷ついています。

それでも、世界のもっとも深刻な問題の中にさえ、わたしたちは、疑うことのできない希望のきざしを見ているのではありませんか。

前に進むためには、このことを思い出すのです。福音は、魂に喜びをもたらせるほどの輝く希望をわたしたちに差し出しているということを。

この希望は光の道。わたしたちの深いところに開かれる光の道。この希望なくしては、人生のすべての喜びは消えてしまいます。

この希望の源はどこにあるのでしょうか。それは神の中にあります。ただひたすら愛する神、愛するだけの神1 、わたしたちを絶えず探し続ける神の中にあるのです。

望は、自分自身を謙遜に神にゆだねるとき、再び新たにされます2

わたしたちの内に力が宿っています。その力は同じくすべての人に宿っています。この力は聖霊と呼ばれ、わたしたちの心の中でこうささやいています。「単純素朴にあなたを神にゆだねなさい。あなたのわずかな信仰、それで十分です3 。」1

では、聖霊とはだれのことでしょうか。それは、福音書でイエス・キリストがこう約束なさった方です。「わたしはあなたがたをけっして見捨てない。聖霊によってわたしはいつもあなたがたと共にいる。聖霊はあなたがたを支え、慰める4 。」

1 「神がなし得ることは愛すること、ただそれだけ」:これは、7世紀のキリスト教思想家ニネヴェの聖イサクの言葉。彼は、聖ヨハネの福音書を長年学び、「神は愛」(1ヨハネ4:8,16)という言葉を黙想した後に、この言葉に達しました。苦しみはけっして神から来るのではないということを、どの時代よりも今日、わたしたちは心に留めねばなりません。神が悪を創造なさったのではありません。人間の苦悩や自然災害や痛ましい事故も、神はお望みになりません。神は、試練の中を歩む人々の痛みを自ら共に担い、わたしたちが苦悩する人々を慰める者になるようにと励ましてくださいます。

2 どんなときにも、この単純素朴な祈りを、心の中で繰り返し唱えるのです。「心の平和、主の内に、ただ主の内に。」(詩篇62:1参照)

3 キリストの1世紀後、リヨンのエイレナイオスというキリスト者が、神との交わりコミュニオンについて確信をもってこう書き残しています。「神の栄光とは、生きている人間。人間の命とは、神を見ること。」

4 ヨハネ14:16-20参照

5 たとえ聖霊の存在をほとんど意識しないときがあったとしても、聖霊の支えと励ましはいつもそこにあり、神はわたしたちの生活を満たしています。わたしたちの内におられる聖霊の存在を忘れることがあるのでしょうか。聖霊に心を留め身をゆだねるとき、どこにいても…家や職場、さまざまな活動のただ中においても…わたしたちはそこにおられる神に気づくのです。

6 福音書の中にすでにこのように記されています。ひとりの男がキリストに向かって「信じます」と叫び、すぐ続けてこう告げています。「信仰のないわたしをお助けください。」(マルコ9:24

 

たとえ独ひとりだと感じるときでさえ、聖霊はわたしたちと共におられます。その存在は目には見えませんが、わたしたちを離れることはけっしてありません5

そしてわたしたちは徐々に気づきます。人生で一番大切なことは、信頼のうちに愛することだと。

信頼、それはもっとも謙虚で単純素朴な真実リアリティ。それは同時に、もっとも基本的な真実リアリティ

わたしたちが信頼の内に愛するとき、周まわりの人々に幸せをもたらします。そしてわたしたちは、神の永遠の中でわたしたちを待つ先人たちと共に、神との交わりコミユニオンに留とどまり続けます。

いの気持ちが生じるときは、このことに心を留めてください。信頼と疑いは光と影のようにわたしたちの中に共存できるということを6

何よりもまず、キリストのこの励ましの言葉を心に留めるのです。「恐れることはない。心を騒がせるな7 。」

すると気づきます。信仰は努力の結果得られるものではなく、神からの贈り物であることに。神の助けによって、わたしたちは日々、ためらいの気持ちを離れ、神への信頼へと歩むことができるのです。

神がなさることは愛すること、ただそれだけです。人に寄り添う神の深い同情こそ、生いのちの源です。「あわれみ深い神よ、たとえわたしたちに山を動かすほどの信仰があったとしても、もし愛がなければ、何になるのでしょう8 。ひとりひとりに注がれるあなたの愛は永遠。」

の愛のもっとも明らかな表現は、赦しです。

わたしたちが他者を赦すとき、少しずつ、生活が変わり始めます。

赦しの中に喜びの息吹きを見出すとき、他者に対するあらゆる厳しさが薄れてゆきます。冷たい言葉や行為が、限りない優しさに変わることが必要なのです。

キリスト以前の時代にも、信仰の人はこの招きをこう表現しました。「悲しみの衣を脱ぎ、神から与えられる喜びで飾れ9 。」

この喜びは、魂の隠された傷を癒いやします。この喜びは、澄みきった穏やかな愛の中に横たわっていて、それが湧き起こるためには、わたしたちの存在のすべてが求められます10

に多くの人々が、今日こんにち、信頼と希望のときを切望しています11

人間の中には、ときに暴力への衝動が潜んでいます。そこで、地上に

7 ヨハネ14:1

8 1コリント13:2参照

9 バルク5:1-9参照

10 喜び、それは時として羽のように軽やかなもの。喜びは聖霊の賜物のひとつです。(ガラテヤ5:22参照)喜びは、わたしたちに感動する心を与えます。輝きに満ちた日も、凍りついた冬の夜も、あらゆる季節の中に、生命いのちの詩うたを見出すのです。

11 聖書で述べられる希望は、単なる想像の産物ではありません。希望は、けっして絶えることのない神の現存に根ざしています。「主は言われる。『あなたたちのために立てた計画は平和の計画であって、災いの計画ではない。それは将来と希望を与えるものである。』」(エレミヤ29:11) この希望は揺らぐことがありません。「確かに未来はある。あなたの希望が絶たれることはない。」(箴言3:18) 新約聖書では、希望を生活の中ですでに働いている現実としてとらえます。「希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」(ローマ5:5

12 何世紀にもわたってキリスト者は多くの分裂によって傷ついてきました。すべてのキリスト者が互いに交わりコミュニオンを生きひとつにされるために、今日きょう、ときを待たず、わたしたちは自らを差し出すでしょうか。もう何年にもわたって、和解への呼びかけは分裂したキリスト者たちの間に多くの対話や前向きの会話を生み出してきました。しかし、和解そのものをこの世の終わりまで先延ばししてはなりません。どの時代よりも今というこのとき、キリストが福音書で示される道を歩むことはわたしたちの緊急の課題です。「まず行って兄弟と仲直りしなさい」(マタイ5:24)。先延ばしするのではありません。キリストは「まず行って仲直りしなさい」と言われます。

今日、多くの男女、若者たちは、キリスト者間の和解を実現させることがいかに緊急の課題であるかに気づいています。20023月に、教皇ヨハネ・パウロU世は「完全な交わりコミュニオンに最終的に至る聖性のエキュメニズム」を呼びかけました。200210月、教皇とルーマニアの正教会総主教テオクティストは共同声明を発表し、その中で二人はこう強調しました。「キリストのすべての弟子たちが、目に見える完全な一致に到達できるようにわたしたちは祈り働きます。わたしたちの目的、わたしたちの限りない願いは、完全な交わりコミュニオンです。それは単に合併することではありません。真理と愛の内に息づく交わりコミュニオンです。」

2

信頼が湧き起るためには、まず自分の内側から始めねばなりません。和解の心で歩き出し、周まわりの人々と平和を生きようとするのです。

地上の平和は、自分にあえてこう尋ねることから始まります。「わたしは心の平和を求めようとしているだろうか。無欲な心で歩もうとしているだろうか。ほとんど何も持っていなくても、今のこの状況の中で、人をより深く理解しながら、信頼のパン種になろうとしているだろうか。」

静かに待ちながら神の前に留とどまり、対立が生じるどんな場においても、和解への道を開き続けますか12

若者が自らの生活の場で平和への道を決断するとき、その人は輝く希望を運ぶ者になり、その光はさらに外に向かって遠くまで輝きます。

歴史の中で今このとき、福音はわたしたちに愛するようにと、そしてそれを自らの存在を通して示すようにと招いています。何よりもまずわたしたちが愛を実際に生きるときに、わたしたちの信仰は周まわりの人々に信頼され伝わるのです。

このことは、キリストの体である交わりコミュニオンの神秘、すなわち教会についても同様です。教会が、信頼と赦しと人々への深い同情を生きるとき、また喜びと単純素朴さのうちに人々を歓迎するとき、かつてしばしば失われた教会への信用が回復されるのです。そのとき教会は、生き生きとした希望を人々に伝え分かち始めます13

分自身の祈りが貧しく、また自分の言葉がぎこちなく思えるときにも、それで行き詰まることはありません14

わたしたちの心にあるもっとも深い憧あこがれは、神との交わりコミュニオンを生きることではありませんか。

キリストが来られてから3世紀の後、アウグスティヌスという名のアフリカの信仰者はこう記しています。「神を呼び求める憧あこがれ、それはすでに祈りです。絶え間なく祈りたいと願うのなら、憧あこがれ続けることをやめてはなりません…15 。」

心の大いなる単純素朴さは、観想的な祈りを支えます。単純素朴、それは喜びの源16 。それは、わたしたちが自らを神にゆだね、神に導かれて生きてゆくことを助けてくれます。

この神との交わりコミュニオンにおいて、目に見えない神がわたしたちに何かを伝えようとなさる手段は、必ずしも言葉とは限りません。神は何よりも沈黙の中での直観を通して語りかけられます17

祈りの中での沈黙が、何も生み出さないように思えることがあります。しかし、この沈黙の中で、聖霊は、わたしたちが神の喜びを迎え入れるこ

13 テゼ共同体におそらくもっとも大きな影響を与えたのは教皇ヨハネ23世でしょう。彼の言葉はいつもわたしたちテゼのブラザーたちが止まることなく前に歩み続ける助けとなりました。40年前、彼はたとえばこんな言葉を残しました。「教会が生きるべき道は何よりも憐れみ。厳格さという武器ではない。」

14 独ひとりで祈るのが難しいとき、数人の人たちと一緒に歌う祈りの美しさが、内なる命にとって測り知れないほど大きな支えになります。繰り返して歌われる単純素朴なことばが、喜びを輝き放つのです。テゼや他の国々での集いにおいて、わたしたちは、人々と共に歌う祈りが自分の中に神への憧れを湧き上がらせ、観想的な祈りに入っていくための手助けになることを発見してきました。

15 聖アウグスティヌスはこうも記しています。「神を知りたいと憧れるなら、あなたはすでに信仰を生きているのです。」

16 ブラザーたちとわたし自身にとって、心と生活の単純素朴さを求めることが、以前にもましてその召命の中心となってきています。これは、テゼで暮らすブラザーたちにとっても、南の諸大陸で、小さなグループをつくってもっとも貧しい人々の中で生活するブラザーたちにとっても同じことです。このような道を歩めば歩むほど、わたしたちは思い出すのです。自らが、福音に生かされる貧しい者であることを。そして、こう言うのです。「霊的な達人になるのではなく、耳を傾ける者であり続けよう!」

17 祈りについて語る中で、聖アウグスティヌスはこう言っています。「多く祈るとは、ある人々が考えるようにたくさんの言葉で祈ることではありません… ですから、祈るときには、数多くの言葉を用いようとするのでなく、心の沈黙の中で祈る時間をとりましょう。」

18 「わたしたちは、閉ざされた共同体の限界を超えて、偏見、憎しみ、恐れを乗り越え、最大限に復活のキリストを証しするように招かれています。そして、この時代を共に生きる人々に出会うように、また人々が抱えている火急の問題に出会っていくように呼ばれているのです。これは、この世に同化してしまうことではありません。むしろ、すべての人々が自由と尊厳を得ることができるように、この世を方向づけてゆくことなのです。」(アルバニア正教会の総主教、ティラネのアナスタシオス)

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とを可能にしてくださいます。その喜びは、魂のもっとも深いところに触

れるのです。

純素朴な祈りの中で、多くの人々はある日神が自分を招いておられることを理解します。では、神の招きとはどのようなものでしょう。

神は、わたしたちが喜びと平和を運ぶ人となるように招いておられるのです18

神の言葉が自分の内側でこのように響き渡るのを、わたしたちは聴こうとしているでしょうか。「立ち止まってはなりません。前に進み続けなさい。あなたの魂を生かすのです!」

そのときわたしたちは、自分が果てしない何かに、限りない何かに向かうものとして創造されたことを理解するでしょう。そして発見するのです。人がもっとも深い自分自身になっていくのは、しばしば困難に満ちた状況を通してだということを。

互いに支え合い19 、壁の前でも立ち止まらないなら、そして前進し続けるための勇気をどこから汲み取るべきかをいつも知っているなら、神に応答していくことの中に、心からの喜びと澄みきった幸せがあることに気づくのです。そうです、神はわたしたちの幸せを望んでおられます20

そして、かつて望みもしなかったことが始まります。かすかな光を垣間見ることすらできなかった長い夜を、後ろに置いて歩き出すのです。暗闇の道を歩く体験は、わたしたちを弱めるのではなく、むしろ内側から築いてゆきます。

もっとも大切なのは、発見から発見へと歩いてゆくことです。それは、毎日を「神の今日きょう」として喜び迎えること。すべてのことの中で心の平和を探し求めてゆくこと。そうして、人生は美しいものとなります…そう、本当に美しいものになるのです。

19 孤立は失望を生み出し、人がその賜物を花開かせることを阻みます。もう何年にもわたって、わたしたちは、若者たちが互いに支え合っていくための手段のひとつとして、「地上の信頼の巡礼」に参加するように彼らを招いてきました。この集いは、神への共通の探求、共通の希望、そしてそれぞれの活動が互いに補い合うものであると気づく体験によって、彼らが他の多くの若者たちとつながっていることを発見する機会になっています。わたしたちは、テゼを中心とした組織や運動を創り出すことがないように留意しつつ、これを継続してきました。

20 人生の試練の中で、わたしたちは少しずつ気づいてゆきます。喜びの源は、並外れた能力や偉大な専門性の中にではなく、暖かい心で他者を理解するために、自分を謙虚に捧げてゆくことの中にあるということを。単純素朴さが暖かい心と結びつくならば、喜びはいつもそこにあります。そこでわたしたちを待っているのです。

 

    テゼ共同体コミュニティについての問い合わせ:

    TaizeCommunity または

    71250 Cluny FRANCE 黙想と祈りの集い準備会

    Tel:(+33)385-50-30-30 〒177-0042 東京都練馬区下石神井6-43-5

    Fax:(+33)385-50-30-15 Tel&Fax:03-3997-7178

    E-mail:community@taize.fr E-mail:ui2001@nifty.com

    Web:http://www.taize.fr

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