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何年間ぶりに、リバス神父様の書いた物を手にして(題のページがなくすみません)、日本での福音宣教についてまだまだ考えるべきこと、もっと行動をとるべきがたくさんあるだなと思い、ここで少しずつご紹介したいと思います。いろいろな意見や体験があるでしょうと思いますので是非隣のダンサーをクリックして偽名でいいですから掲示板にのせてくださいませ。。。
日本の教会は生きています。外観では信者数がそう増えていないのであまり変わっていないという批判もありますが、内面において...信徒の信仰がずいぶん深まってきたと思います。教会は昔から信徒に福音宣教するように勧めてきましたが、つい10年前のことを考えてみても、当時の信徒に福音宣教してもらうことを期待することは無理だったと思います。信徒はそんなに深い養成を受けていなかったし、また自分の言葉で信仰を伝えるだけの信仰体験を持っていなかったと思います。...などの運動は信徒の養成に力を入れてきました。..それによって信徒が自分の信仰を深め、体験する場が与えられるようになりました。とはいえ、まだ多くの信徒はそれらの運動の場に積極的に最中すると言う状態にはなく、昔からの受身的な、信仰のことに突っ込まないで信仰と宣教を切り離して考えている現状にはありますが、一歩ではME,カリスマ刷新、霊操、黙想なども信徒の間に広がり、それらに参加した信徒が霊を受けて、霊が心の中で燃えはじめています。そしてさらにその霊は単に心の中で燃えているだけでなく、私たちを「外へ外へ」と促しているのではないでしょうか。今日では多くの信徒が布教したいと思っています。それも実生活から離れた形によるのではなく、心の中での霊のあふれを伝えたいという意味での布教であり、それをどうにかして実現したいということに悩みと希望が混じり合っているというのが現実でしょう。以前、「満たされるまで外に出るのを待ちなさい。」と語りかけていた霊は、今では「さあ、外に向かって出かけなさい。」とおっしゃっているかのようです。実際問題としてパパ様が来日されたときに、信徒だけでなくマスメディア、多くの未洗者があれほど感銘を受け、パパ様をとおして、語られた福音に耳を傾けたことにも私たちは霊の大きなしるしを感じ取ることができます。この機会に何とか布教したいと思っている多くの信徒がいます。彼らは列をなして第一歩を踏み出そうとしています。しかし実は、誰かが一緒に、あるいは先にその第一歩を踏み出さないだろうかと待っているかのように思います。信徒は体験を伝えたいのです。私はいま「霊のあふれ」の時代が近づいてきているように思うのです (続きは「マルコ神父より」のページ)
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